没落そして台頭

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john-harman-pic.jpgのサムネイル画像allen-ad-1.jpgallen-springer2.jpg時代に乗れず暗雲立ちこめるH-D社は新たな投資家を求めるが古い体質の家族経営に魅力を感じる相手は無くいよいよ窮地に。そこで起死回生の新型E/g投入で技術力をアピールし良い条件下でのパートナー探しを決断する事になる。折しもNASCAR '64 デイトナ500レースに衝撃が走りました。クライスラーがHEMI搭載のワークス車を8台投入で予選から決勝全てをぶっちぎりの圧勝。あまりの速さに主催側は翌年の出場を認めずのルール変更を急ぎ決定します。H-D社の技術陣も膝を叩いてHEMIとクロスフローが次期E/gの切り札と確信したのは容易に想像出来ます。この勢いづいた流れが歴代最も美しく強力なアーリーシャベルの登場に至ります。工場サイドも長く続いたスト争議を止め会社の危機に全面的協力で驚きの品質向上を計りました。やがて必死の努力は報われて巨大商社AMFの傘下に入っていきます。

市場の情勢はH-D社とは正反対でボッバーを軸に活気を帯びて行き新しい流れが自由を求める世相と相まって広がり出します。最初は軍放出のスプリンガーに交換する程度だったのがスタンダードより1.5インチ長い軍用XA スプリンガーを血眼で探し他のボッバーとの違いを構築して行く様になります。

そしてチョッパーの芽吹きが自然の流れの西海岸で起きて来ます。60年代半ば純正スプリンガーをナロー化してロッカーを造り後カスタムスプリンガーの第一人者として認められたDick Allen 。
ロングガーダーとフレーム製作で名を上げて後に120"モンスターE/gを自分で開発しドラッグレースに傾倒していった John Harman 。チョッパー創成期に突出したレジェンド達が居たからこそ後に続いたアーレンネス、BACC等の成功が導かれたと云えるでしょう。
現代のカリスマ ジェッスィ ジェームスをして 10代の頃から俺にとってHarmanはヒーローだった とTV番組で語ってましたがこれこそがHot Rod 精神が連綿と受け継がれた証でしょう。
そのコアにはテクノロジーへの畏敬が深く込められています。
やがて枝は広がり外観美だけにこだわるアートの方向に進むロンフィンチ等の動きも出ましたが線香花火で消えました。