恐竜神話

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'60sに入ってもH-D社は旧態依然のファミリービジネスを続け58年に発売されたデュオグライドの好評ぶりにアグラをかいて居ました。今では信じ難い事にH-D社は前年に全米ディーラーをラスベガスに集め翌年度の新車オーダーを約束させてたので生産量と販売量がイコールの経営安定性でした。工場現場は買い手の決まっている車両をスケジュール通りに組み立てるだけでしたから当然品質も落ちていかざるを得ない訳です。新しいことの開発力も伴わずサービス部品の供給する遅れは著しい不平を買いました。市場では若者を中心とする購買層は高額なハーレーには無関心でトライアンフを筆頭に俊敏なスポーツバイクに夢中でしたから新車ハーレーを買えるのは限られた裕福層だけでH-D社にとっては警察用に納入される量がかなりの比重を占めていました。

時代遅れになりつつ有ったH-Dはいつしか太古の恐竜に例えられてパレードで華を飾る役割しか存在価値は薄れていきます。
この危機を救ったのは驚くなかれHOT ROD好きの軍経験者達で公用放出品のハイドラグライドを只同然の価格で手に入れて車体の軽量を計るべくあらゆる外装を外しました。流石にブラック& ホワイトは避けたいのでサープラスストアでオリーブドラブのスプレーを調達。ボッバーの始まりです。
勿論H-D社に直接的な影響は有りませんが修理部品、消耗品の購入でディーラーに活況をもたらしました.宣伝広告も無い時代来訪して初めてスポーツスターの存在に気付く人も少なくなかったでしょう。
やがて鈍重なボッバーではトライアンフに遅れをとるのが不満だった者達がスピードパーツに目を向け当時盛んなヒルクライムレースの影響を受けてカムシャフト肉盛り熔接でパワーを得る事になります。
そんな手探り状況下からブーストアップしたのがイギリス製HEPOLITEピストンの登場でハイコンプ10:1が可能になりました。
この60年代半ばが現在の日本のハーレー事情に似ている感を強く思っていますが如何でしょう。旧車をよりボロに見せる現代とボロしか買えないが必死にパワーアップを目指し上を見てた違いは有りますが。