HOT ROD ALLEY 黎明期

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World War 2を抜きにUSAモ-タ-文化の急成長は語れません。その礎を象徴するプロジェクトにス-バ-バ-シング戦車の劇的な登場が有ります。
ヨ-ロッパ戦線の最終期、ベルリン攻略で連合軍は大きな壁に突き当たって居ました。
必死の守りを固めるドイツは首都ベルリンに入る幹線路の各村に強力なパンサ-やタイガ-戦車を
砲台代わりに布陣していました。取り分け最強モデルのキングタイガ-はアメリカのM4シャ-マン戦車の砲弾は跳ね返し一発でシャ-マンを破壊する本来は高射砲を転用した主砲を備え連合軍は遭遇したら逃げるしか手は無かった状況でした。
アメリカ本土ではシャ-マン戦車の次世代モデル パ-シング戦車の開発が進められていましたが
急遽プロジェクトでキングタイガ-を破壊出来るス-バ-パ-シングを試作してそのままヨ-ロッパ最前線にたった一台のOne of a kindを送り出しました。
E/g はFORD V8 水冷 500馬力、サスはト-ションバ-と云う現代の車でも使う画期的なスペックで量産は考慮せずベルリン侵攻の先頭に立たせるのが目的でした。
記録に残る戦闘ではキングタイガ-との一騎打ちを圧倒的に勝利しましたが極秘プロジェクトの為他の資料は封印されています。
軍の組織や指揮系統を飛び越えてこれ程大胆なプロジェクトを短時間にアメリカ本国からヨ-ロッパに跨がり成し遂げたのはHOT ROD に通じる情熱と言えるでしょう。量産を考えた計画であればこの様な作戦は無謀として認められ無かったであろうが最前線の何としてもキングタイガ-を打ち破る求めが事をなし得たのだと思います。
故 司馬遼太郎は戦車部隊の小隊長として従軍した手記の中で日本軍戦車はブリキの箱程度のお粗末さで戦える代物では無かったと記してますがドイツとアメリカの工業大国の戦いはテクノロジ-と情熱が凄まじく交錯したパワ-競争の感がします。
終戦後アメリカは戦前のサイドバルブを暫く踏襲した市販車でしたが50年代に入ると満を持してOHVのV8が花開き始めました。しかしスポ-ツカ-や高速バイクの概念は全く無くヨ-ロッパの戦地から兵士が持ち帰ったジャガ-、MG、オ-スチン或はトライアンフを初めとするバイク熱が一気に広がって新しい刺激がアメリカ全土を駆け巡りました。
好奇心がHOT RODの感性を芽吹かせて新しい何かを求め出していきます。DSCN8355.JPG