HOT ROD ALLEY 第一章 Birth of HOT ROD by Stroker-Kid

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HOT RODはアメリカンモ-タ-カルチャ-が生んだBoys Racer達のパワ-と
Newテクノロジ-への憧れを夢の形として表した世界です。
アメリカ中に広く認知されたのは第二次大戦後、若き復員兵達の大胆な発想
から出たE/gスワップ、サス移植の改造からでした。
戦争は実に悲惨なものですが同時にテクノロジ-の急激な進歩を生む原動力に
なっているのも事実です。全米から駆り出された若者は生まれ育った町の事しか
知らなかったのがいきなり巨大な戦闘機械、船舶、航空機に関わり強烈なカルチャ-
ショックを受けただろうし又操作する感動を受けたのは容易に想像出来るでしょう。
大胆な発想の転換を実感したであろう事例として第二次大戦屈指の傑作戦闘機と語り
継がれている P-51 マスタングの登場が有ります。
登場初期はタフで強固な機体設計設計が売りでもアメリカ製アリソン12気筒が
鈍重で扱いづらいレッテルを貼られパイロットだけで無く整備クル-からも敬遠
されて惨憺たる低評価でした。
しかし大胆な発想からイギリス空軍の名機スピットファイヤに積まれているロ-ルス
ロイス製マ-リンE/gをスワップした途端にトンビが鷹に大変身、無敵のエ-ス戦闘機
に昇り詰めました。スピットファイヤは優れた戦闘機でしたが長距離は飛べず低空で
闘うだけの性能でしたがマスタングは頑丈な機体で重爆撃機と同じ高高度に上がれ
尚かつ護衛して長距離もこなせる能力をフルに発揮出来ました。
ロ-ルスロイスから委託された自動車メ-カ-のパッカ-ドがライセンス生産した
マ-リン( 隼 ) はマスタングを駄馬から最高の駿馬に変えただけで無く戦場であらゆる
伝説を残しました。
ドイツ空軍の誇る名戦闘機メッサ-シュミットが垂直上昇でP-51を追尾しようとして
失速してしまう性能差、首都ベルリン1万メ-タ-上空を編隊で飛ぶP-51を見て空軍の
総帥ゲ-リングがドイツの敗北を口にしたとか。
我等が日本のゼロ戦でさえ5000メ-タ-以下でしか闘えない技術の差でした。
こうした創造力と発想の転換のバランス感覚は一つの事を永遠に続けるのが良しとする
日本の体質とは180度違う様です。
何れにしてもこの考え方は後年テキサスの田舎レ-サ-がACコブラを産み出す原動力にも
繋がっています。つまりロ-カルであろうが広く根付いたHOT RODの感性はアメリカ人
の心の中にDNAの如く存在しているのでしょう。