2004/4/13ツトム クロスカントリー続編

 エキゾーストチャンバー内の温度が860℃を越えレッドゾーンへ入ったのを見てケンは”ヤバイ”と一言、私は”ついて来るんじゃなかった”と心の中で独り言。ケンがどこでもいいからスグ降りようと言うけどアンタ、ドコに降りるのよ、とりあえず地図で一番近い飛行場を捜し高度を下げ始めましたが、地図には有るけど本当にそこに飛行場が今もあるか判りません。 500m位のランウェーが1本しかない農業用みたいな滑走路を見つけた時はもうあたりは薄暗くなっていて気持ちも暗くなりました、その暗い気持ちにケンは冷たく事務的に言います、”ツトムちゃんオートローテーションで降りるよ”...。ヘリコプターのクラッチはフリーハブになっていて、エンジンが止まっても回転ブレードはそのまま回り続けます、落下する機体はブレードが受ける風の抵抗だけで自然落下より遅く降下できます、スピードが乗らないよう機体を地面に対して45度に保ち、進入角度はそれ以下でも以上でもあきません、ら旋状にアプローチし続け、着地寸前にレバーを引いて回転ブレードの角度を一杯に立てます、機体は一瞬だけ浮力が付きフワっと着地出来る、というのがオートローテーションなんですが、、言うがヤスシやるのはゴメン、もちろん教習では何度もやってますが、エンジンは掛けたままだし、いざというときはクラッチを繋いで動力は確保出来ますが..。 フューエルストレーナーになにか詰まった可能性が大きく、アプローチの段階でエンジンストップした場合は高度が無いのでオートローテーションは使えません、OKケン、ヨロシクたのむとしか答えようがありませんよ隣に乗ってると。  この当時ケンの飛行時間は約2000時間、私は75時間、とーぜんの選択です。東部なまりの英語で管制塔(みたいなハンガー)からおまえら何やってんだーと聞かれ、エンジンフェイリヤーとだけ叫んで強引に着陸、スキップする事も無くみごとに着陸してエンジンをクールダウンしていると、さきほどの管制管(みたいなレッドネック)がニコニコしながら近ずいてきてGood Job と一言。状況を説明してメカニック居ませんか?と聞くと彼は、おまえらは運がいいぞ、この町には東海岸イチのメカニックが住んでる、   ホントかよーー、たのむぜ。

2時間まって現れたのは70才位のおじいちゃん、孫にTool Boxをもたせ、乗って来たトヨタのPick Up がひどく調子悪そうなので僕達はガッカリしました、うそだろー、マジイィ?   人は見かけ(車)によらないらしく、この方はてきぱきと修理を済ませ、前回給油した飛行場のジェットフューエルにゴミがまざっていただけだと教えてくれ、その飛行場に電話して給油をストップさせろと言ってました、そう僕らが前回給油した飛行場はド田舎の牧場で、ジェットフューエルを使う機体が着陸したのは1年振りだと言ってたなー、ひどいよーあんまりだよー。 お礼に孫を乗せて遊覧飛行して差し上げてから、何事も無かったようにナイトフライトで西に向かい高度を上げました、その後は順調にカルフォルニアまで飛び、現在もその機体はケンのフライトスクールで教習に使われています、彼の飛行時間も4000時間を越え、西海岸の日本人ではNO.1のパイロットです、それに比べて私は何してるの.....いえいえジェットヘリよりオモシロイもの見つけました、動力性能だけでは比べられない、テクノロジーの自己満足だけでは終わらない、とてもイカシタ乗り物です。  オシマイ 

2004/4/5 ツトム クロスカントリー

1980年代当時私はよく個人売り買いのローカルの情報誌でアメリカの片田舎まで安いハーレーダビットソンを買いに行きました、アイアンスポーティーが$1,500位で買える時代でした、ある日友人でヘリコプターフライトスクールのオーナーのケンが同じくマイアミで安い出物を見つけて、それを買い取りに行く事になり二人でマイアミ行きの飛行機に乗りました、彼がみつけたのはハーレーではなくBELL-206というジェットヘリです、定価が日本で約一億二千万円する機体でしたが売り値は11万ドル、当時のレートで約1800万円とかなりお買得です、マイアミのローカル飛行場で売り手にチェック(小切手)を切って機体を受け取りその日の内に西海岸へ向けて約5000キロのフライトが始りました、ジェットヘリと言ってもこのベルは最高巡行速度は大体180ノット、時速で約200キロです、ロスアンゼルスまで休まず飛んでも25時間掛りますので途中一泊の予定でした。 一見無謀な計画ですがヘリコプターや飛行機の場合、旧いアメ車やハーレーと基本的にメンテナンスの環境が違います、機体を構成するすべての部品にそれぞれ詳細に飛行時間が決められており、交換時期が来ると問題なく使える部品もおしげもなく交換してしまいます、また定期点検は自動車のタームの比では有りません、それらFAAが定めた整備がなされていない機体は保険会社が飛行の許可を出さないので、企業が所有している機体は何十年経っていても信頼度は抜群です。とは言ってもこのBELL-206はインストルメンツフライト(計器飛行)が出来ないので基本的には有視界飛行です、どーいう事かというと、地上を走る幹線道路や線路などを目で観ながら進んで行きます、その為高速道路の様に対向車(対向機)とすれちがいながら、また地上で大きなインターチェンジが有るとその上空でも軽飛行機どうしで同じ事が起きているのです、もちろん西行きと東行きでは高度もそれぞれ偶数と奇数に別けられており頻繁に自分の位置をレポートし合いながら飛びますのでそーはぶつかりませんが。でもね、日本人ふたり初めての機体で、はじめての東海岸から5000キロのクロスカントリーですから、そりゃーほんとーはやってはイケナイ事ですね、オトナなら。おまけにストーンしてますからなおの事。 それはクルマでR66を使って大陸横断するのとまた違った経験です、自分が操縦桿を握っている時はとても景色なんて観てられませんが、ジョイスティックをケンに渡し両足のラダーから解放されると眼下に広がる広大な北米大陸はぜんぶ自分の物になります、オートマの車と決定的に違うのは操縦している時は身体のすべてを使うと言う事です、操縦は左右どちらのシートからでも出来ます、それぞれに同じセットで操縦桿がありますが、左手でスラットルグリップと回転ブレードのアングル調整レバー、右手で姿勢制御のジョイスティック、機体のヘディングは左右のペダル、交信用ヘッドセットからは早口の英語、目は高度計とタービンチャンバー内温度計を気にしながら周囲の機体を常に捜していなくてはいけません、難しいのは速度を上げると(下げると)スラットルをあおるだけではダメで、エンジン回転が上がれば、機体は左へ向いてしまいます(これは回転する物すべてに起きるテンデンシーで、難しいので説明ははぶきます)それを右ペダルを踏みリヤブレードの回転速度を変えてカウンターを当てます、と同時に高度も上昇してしまうのでジョイスティクを少し前へ倒し、さらに主回転翼メインブレードのアングルオブアタック(迎え角度)減少させ機首を真直ぐ保ちます、そして理屈はこーですが上空は常に風が色々な方向から吹いてますので実際にはもっと複雑で....もうヤメましょう。   出発してから順調に飛んでいましたがヒューストンを過ぎたあたりでチャンバーの温度計がしだいに上昇してきました、二人とも気ずいていましたが許容範囲内なので黙認していました、アトでとんでもない事になるとはこの時点では想像していませんでした。 機体ナンバー2010H(トゥーゼロワンゼロホテル、空の上ではアルファベットをキャラクターで呼びます交信時に正確に聞き取る為でしょう、Aはアルファー、Bブラボー、Cチャーリーなどです)、ボク達の乗るジェットレンジャーBELL-206/2010Hはトラブルを抱えていました.........つづく。

2004/3/22 シライ君 スマッシュヘッド

根本的にあんなヤヤコシイBIKEに乗っているせいか、味の無いものに満足
出来ない体質です、言うなれば変態ですね。
SMASHHEADの外装はイギリスで解体されたPUBの古レンガを使用して、
サージングという技法を持つPUBビルダーに仕上げてもらいました。
フロアーもPUBの床をそのまんま剥がして打ち直し、、、言わなきゃだーれもわかん ない部分です。
内装の壁面もそうなんだけど、どの世界にも職人というかアーティストはいるもんだ
と実感させられました。
椅子類は米軍基地のある福生のUSED、食器類はさり気なく使ってますが全点
50年代〜60年代のファイヤーキング&OLDパイレックス。
普通飾っとくもんなんだろうけど、BIKEと同じで使ってナンボのものなんで
惜しげもなく使用してます。
コンセプトはアメリカの場末のバイク好きのオヤジがやってるCAFE&PUB
食い物もアメリカ流でデカイ、多いを売りにしてます。
最近ハンバーガーとマフィン&スコーンは雑誌、TVで取り上げられる機会も
多くなってきてうれしい限なんだけど、BIKE方面で何を提案していこうか
という悩みもあって、いなかになってたんだけど、師匠ヒロSKやDJKO
LA izumiさん、JUNK−MOTOR シニョールツトムの半端じゃない
サポートのおかげで やりたい方向がかなり見えてきました。
何度もTECのほうで語られて少々嫌気がさしている問題だけど
WEBによって知り合った人々がHDをキーワードに得意分野で既存のコマーシャル
なメディアに踊らされないリアルなHDの現状を地域を超えて伝えていく
やっぱ何でもコダワリを持ってホンモノじゃないと駄目です。
雑誌で語れない部分も集まれる場所があれば本音トークガンガンできるし
情報の交換も出来る。
それをまたWEBにフィードバックして 楽しくやれりゃー幸せです。
見てるだけでなく、俺こんな事できるぜって人は参加してください
近日手付かずの店内パワーUPいたします。
ご意見ご要望あればガンガンどうぞ、嫌な事はやりませんけど、、、、、、
さてどうなることやら、、、、、、

2004/2/26 SMASH HEADの白井君(ミキヤス)

 イリーガル裏ビデオ稼業も飽きた頃、、と言うよりは内偵かけられてパクラレかけた頃、、「レコード屋を立ち上げるんでレアなソウル&ハウスのレコードを大量に買ってきてくんない」という美味しい話が持ちかけられた。ただでアメリカ行けて、レコード買い放題というこれ以上は無い話なんだけど、、、、、コイツがまた死のロードなんだよね。まずはド定番のChicago 普通は地球の歩き方とかみて安全なホテルを見つけるんだけどわざと絶対危険泊るな!!という場所に泊まる。理由は安いから、、でも昼間からクラックキメテル路異句とかがうようよたむろってて、、デカイ鼠は出るは、隣の爺は突然死するは最低の吹き溜まり、エレベーターBOYはイエローが嫌いで乗降の度にFUCK@N!!!と言う始末 まあツトムさんとかのレアパーツの仕入れもそうなんだろうけど、素人が土産に買って帰れるような所でモノ買っても、日本と値段変わんないし、たいしたもんも無い訳です。まず地図と電話帳用意してレコード屋調べる、そいでもって身近なダイナーの白人のおばちゃんとかにこの辺どうよ!と尋ねます。べリべり危ないわよ、、ロイクだらけで死ぬかもね!と言われたらしめたもの宝の山を想像いたします。あとはひたすらGO 現地にTAXIにて行きます、、、目的地に着くとTAXIの運ちゃんが帰ろうとしない。「待っててやるから」と何度も言うけど、、金欲しさだと思い帰した。レコ屋の扉を開けるとFUNKが大音響で鳴り響き、2。位のロイクの集団がビリヤード2百k位ある奴がDoes anything need MEN!!だよ、、、びびるっしょ普通レコード買いに来たんだ、と言うとIt waits. It calls a responsibility person!!ME―N奥の鉄扉が開くとギャングスーツ姿のRAYというロイクが現れ、地下道を案内さらに奥の鉄扉を開けると、、、、、、WHOOOOOO!!3百坪位の所にギッシリ宝の山、山、山そうなるともう時間忘れますね。5−6時間は宝探し、でも支払いの段階で眉間を打ち抜かれるんじゃないかと心配しながら、トラック1杯位買いました。
しかし支払いの段階でトラブル発生、日本人のカードがこんな黒人しか住んでない地帯で使用されたから、相次ぐ確認電話、シカゴ警察からもコールがある始末事情説明に1時間、、その後今後の話をRAYとして帰ろうとすると今度はTAXIが来てくれない、、、帰れネー、、、、、、、、、、、、、、仕方なく彼がオヤジさんにTEL ボロボロのフォードのピックアップにレコード満載で街中を走ると、映画でみたような消火栓ぶち壊して遊ぶ子供や3ON3をする若い奴らなるほどTAXI来ないわけだ、と思いながら 親父さんのおんぼろカーステでJBを大音響で流しながら、大合唱、JOIN吸いまくりで帰路についたとさ(^^)上手く説明できないけどなんか、こんな思い出もこじつけみたいだけど古いHDとかと共通する部分あるんだよね 。

2004/1/30コラム 木村コウ 

今回はまた仕事の話。
先日STROKERーKID氏と話していた時に S・K氏が雑誌編集者の人にハー
レー関係の昔話を聞かせてください?と質問されたらしく その答えに「昔話でよ
かった事なんてあまり無くて どちらかというと苦労話のほうが多かったよ。」なん
て話していて自分の仕事でもそうだ思いました。
最近は職業はDJと言うと「あ、そうなんだ」という興味半分、そして少しは好意も
入った返事が返ってくるようになりましたが 20年位前に 僕がDJみたいなものを
始める為にターンテーブルを2台とミキサーを買った時「馬鹿じゃないの。DJにで
もなるつもり?」なんて知り合いにまで馬鹿にされる始末。また、教科書やマニュア
ルなんていうのも全く無く どんなターンテーブルを買うか?ですら全くわからなく
て 全て自分で手探りで調べるしかない状況でした。勿論テクニックを教えてくれる
先輩などいるはずも無く 全てが独学。その頃はスクラッチというテクニックの練習
もしていたので 好きでやってたのもありますが 一日10時間は毎日練習に明け暮れ
る日々。今なら教本ヴィデオなんかを見て「あ。こうすればいいんだ」なんて一瞬で
判るテクニックも 自分の耳で聞いた音を 少しづつ手の動きを変えてみたりして 
どうやったら再現できるかで一ヶ月かかってやっとマスターしたりでもう大変な作
業。今、考え直すと苦労の努力の連続でしたが 当時は興味と好奇心で一杯で 時間
すら感じないほどハマリまくってたと思います。そんな事を毎日やってたため テク
ニックだけはその当時、日本でも何本の指に入るくらいにはなっていました。でも 
実際テクニックは身についても 職業としては全く認知というか 今の僕のようなゲ
ストDJなんていう事自体をする人がいなかった為 職業としていくのはもっと大変
でした。
初めて10年位でやっと 職業っぽくなってきて DJだけで普通の生活位は出来るよ
うになりましたが 始めた時の周りの印象があまりにも冷たかった。そして職業的に
は全く認められてなかったせいで それがトラウマになってるのか 今でも職業を聞
かれると「DJ」とは絶対堂々と言えません。大体「音楽関係」とか「音楽雑誌関係
で原稿書いてます」とか適当に言ってごまかす毎日。
勿論、名刺にも肩書きはDJとは恥ずかしくて入れる事も出来無いし、まだまだ世間
の風当たりは辛いですね。
ちゃんとDJだけで生活ができるようになった今でも 友人からDJって紹介されて
 どうも!なんて話してると「で、本職は何やってるの?」ってよく聞かれるし。女
の子にもてるでしょう?っていわれるが実際はそんな事は無く ゲイの人にばかりモ
テるし、、、。それよりも 実際の話として自分達がDJしてるのは深夜12時以降。
それって風営法に引っかかってるという事もあって なんだかんだ言って 法律違反
で もし警察がきたら最悪の場合 店長とDJが逮捕、証拠物件のレコードは全部没
収!という事になってしまうという事もあります。僕の知り合いでも実際一人 レ
コード流してただけで逮捕暦が残ってしまった人がいます。だからいつも僕は警察が
入った瞬間にDJブースを飛び出し雲がくれ。香港でDJ中に中国警察が来た時には
「もう、日本には一生帰れないかも?」なんて思うこともありましたが。
そんな色々な経験を積みつつ今に至っているので ここ5年くらいでDJ始めた奴な
んて子供も同然!なんていう自信もあります。また、今は教本やヴィデオ、挙句の果
てにはDJスクールなんていうのもあるせいで テクニック的には自分達が10年か
かって手探りで学んできた所を 3年である程度マスターできますが やはり長年の
経験と知っている歴史の量ではヴェテランには全く太刀打ち出来無いでしょう。
ちょっとミックスが出来るくらいで「俺ってDJさ!」っていきがっている奴が今の
世の中、 一杯いますが、僕達からすると自分の事「DJ」って言ってもいいけど
「プロ」って言わないでね。って言いたいのが本音。
最近のハーレー業界を見てると 3年くらいショップに勤めてちょっといじれるよう
になった位で独立して 作ったバイクが雑誌に取り上げられようもんなら もうヴェ
テランビルダー気取り。また、ヘインズのメンテのマニュアル読んだ程度で 自分は
ヴェテランメカニックと思い切れてしまう業界も変ですね。そんな人たちが偉そうに
してるのを見るとS・K氏達本物のヴェテランも大変だな。今のハーレー業界の状
況ってちょっとおかしくない?なんて思います。
ま、そんな感じで ロック好きの方が多いハーレー乗りの中でマイノリティーのダン
スミュージック好きが思う今日この頃でした。

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