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血だらけの状況から冷静に自分を観察するコウ木村、シュールでナイーブなのがバレましたね、っていうか〜コワイい〜。
2003年5月5日 by Ko Kimura 2nd

自分のバイクのことばかり考えていて ここをどうしたらとか そこをどうしたいな
どと物思いにふけるいつもの毎日ですが 皆さんは「本当に自分のバイクが好きなん
だなー」なんて思うことはよくありますか?先日 好きを通り越して自分って病気だ
な なんて思うことがあったので書いてみようと思います。
 先日の5月2日の夜7時ごろ 特注で作ったスプリンガーフォーク用のローダウンス
プリングにパーカライジングをかけ始め「今日は深夜1時からDJの仕事だから 速め
に切り上げよう」なんて思ってたんですが、いざパーカライジングの作業が終わると
どうしても取り付けたくなってしまい 時間も無いのにジャッキアップをしてフロン
トタイヤを外し スプリンガーフォークの分解を始めました。
ついでだからライドコントロールのフリクションディスクのパッドを交換しようと 
また細かい部品を分解し パッド交換となったのですが 錆びてしまっていてフリク
ションディスクのカップに入っているパッドが取れないのでジャッキアップしてある
裏庭から 自宅に入り カッターで削るという作業に入りました。
左手にパッドを持って右手にカッターという感じで作業に入ったんですが 作業も終
わりに入った頃、気をつけてはいたんですがやっぱり 左手の手のひらをカッターで
ずばっと切ってしまいました。それも結構深く 小指の付け根あたりは 骨まで行っ
てる感じです。ほんとに小指の感覚がなくなっていって麻痺して痺れていくのが実感
できます。あーこれは5針コースだな−と出血が止まらないのでタオルで巻きつつ 
救急病院に入ったのが午後九時。診察を受けて一応腱はかろうじてつながってるので
指は動くとは思うが神経はなんともいえないといわれつつ 予想通り6針ほど縫って
自宅に10時半頃に帰りました。
裏庭に行って ジャッキアップされてフォークをバラバラにされた自分のバイクを見
ると 何となくかわいそうに見えて、また、早く作業の続きをして特注スプリングの
具合がどうか確かめたい なんて思うと我慢できなくなって 今日は1時から仕事だ
から あと2時間はあるなーと計算。今は麻酔が効いてるので痛くないし大丈夫だろ
うと 怪我して包帯ぐるぐる巻きの左手にコンビニ袋を2重にかぶせて手首のあたり
でガムテープで止めて包帯が汚れないようにして 今度はバラバラのスプリンガー
フォークを組んでタイヤをつけバイクを走れる状態に戻しました。麻酔のおかげで痛
さは無く 深夜12時くらいに作業を終え 出来上がった自分のバイクを見てると満足
感で一杯。そして自分って本当に自分のバイクが好きで またいじること自体が好き
なんだなーなんて実感したのでした。結構な怪我をしてるのも忘れて 多分その時の
僕の脳内はドーパミンが出まくりだったと思います。
いつも自分のバイクを見ては「かっこいいなー」とか いじっていて「楽しいなー」
なんて事は思っていましたが こんなアクシデントの後なので すごく満足度みたい
なものが高く まさに「感極まり」つつ 仕事に行き 左手は痛いがダンスフロアー
を盛上げ帰宅。
朝方また自分のバイクを見て 本当に自分のバイクが好きなんだけど それを超えて
病気だな!と実感しなおしました。
皆さんはどんな時に 自分は本当にハーレー中毒なんだなと思いますか? 
直すことは出来たけれども 絶好の五月晴れなのに乗れないのがすごく残念です。
 CONTINUE!

2003年4月28日 Hello Boys ! The early days of Old Biker・・・

ドラッグ・レ−スチ−ムと云っても通常はストリ−ト・エンジンのチュ−ン、リビル
ドとメ−カ−から開発テスト(俗に云うR & D) 依頼だった。ボスのソニ−は当時 S & S の L に替わる新型キャブとエア−クリ−ナ−のプロトタイプの走行テストしていた。今でこそ何でも無いB キャブとラッキョウ型クリ−ナ−の発売前で中速域の向上に取り組んでいた。このチ−ムで何より面白かったのは客がロング・スプリンガ−のチョッパ−で沢山来た事だった。
他の有名ファクトリ−は結構プライド高く、チョッパ−を馬鹿にする風潮が見られた
時代だったがソニ−の仕事振りと姿勢はどれも平等でベストの技術で対応していた。
ソニ−がフォ−ドの霊きゅう車にV8 ストロ−カ−を積んだお世辞にも綺麗とは言え
ないスレッドに乗りTatooの腕を出していたから余計バイカ−達が親しみ持ったのだ
と思う。日本に居た時から車イジリは好きでレ−ス屋にも出入りしていたが、アメリ
カの実状がこれ程違うとは予想も出来無かった。オ−バ−サイズ・ロ−ラ−と云う考
え方は当時も今も日本には無いもので、目からウロコの感が有った。日本では10年以上使うなんて考えない為、耐久性よりもカタログの馬力表示を重視していたから 5,6年でガクッと性能ダウンするのは当たり前だった。信じられない事にクランクバランスと云う考えすら日本の車・バイクメ−カ−は無く単に製品精度の向上が最終目標だったある時ハ−レ−雑誌がボスに面白い企画を持ちかけて来た。ストックの新車ス−パ−グライド FX (キックのみ)に当時流行していたキャブを取っ替えひっ替え、その場でベンチテスト掛けてどれがキングか決めようと云うものだった。公平を期して全員同じ場所で同一条件の元におこなうと云った業者にとってみればウラ技が使えない真剣勝負。ソニ−は勿論、今手掛けているS & S のデモになるので2つ返事でOK, 場所はジェリ−・ブランチのベンチテストと決まった。この当時からアメリカのハ−レ−雑誌記者は下手なメカニック顔負けの見識持って面白い視点から読者の興味をそそってたと思う。
この頃のCALFは今とは全く違う意味で小規模パ−ツ屋がキラ星の様に群雄割拠してお
り、まず名乗りを上げたのはウェ−バ−・ダブルポンパ−のジェリ−・マグナソン
Santa Ana, カ−ルズ・スピ−ドがS U , 老舗ディ−ラ−、ロングビ−チH-D が純正ベンディックスをボアアウトして挑戦、(余談だがこの名門ディ−ラ−はショ−ル−ムの床がオイルのしみ込んだ分厚い板張りで1940年代の面影残した素晴らしい造りのままだったが後年、日本人が買い取ってツブれてしまった・・・) 更に話題のハイテク・キャブだったレイク・インジェクタ−、全く無名のリベラ・エンジニアリングのフルクロ−ム 2インチ SU, そして我がPolock Power のS & S プロト。マ−ケットは小さくても活気に満ちて居た良き時代。テストは様々な項目を用意してセツティングは自由に行うフェアな内容だが、毎回ベンチ上でフルパワ−かける為エンジンを冷やすのに時間が掛かり、ついには途中でリヤタイヤが破裂するハプニングで2日間に渡るコンペティッションになってしまった。数値の比較だと一長一短で室温すら影響してしまう局面の中、ソニ−の意見でベンチテストだけでは問題残るからブランチのファクトリ−前 1 ブロックを走行テストに加えた。
そして結果は意外な伏兵メル・マグネット(リベラ) の 2インチ SUキャブが総合1位
に輝き、ソニ−はパワ−・トルクでぶっちぎりだったが始動性と走行フィ−ルでスコ
アが伸びず。セルスタ−トであれば叉セッティングも変わり違う結果が出たと思うが兎に角、同一条件のストリ−ト・キングキャブは純粋にハ−レ−フリ−クの戦いで面白かった。現代では4 輪業界からアパレル業界迄儲かると勘違いしてハ−レ−市場になだれ込みあの時の純粋さのカケラも無いが・・・
個人的にはトルク重視で長いファンネルを付けて来た 2インチ SU の滑らかさに興味
引かれて、後日リベラを訪ねる事にした。彼はBig SU がストックエンジンに不利な
のにあえてリ−チの長いファンネル内部に格子組みのポテトスライス加工を細工して
一発勝負に賭けたのだった。それをうまく引き出したソニ−のテクニックも・・・・
教えられた住所を何度行き来してもリベラのファクトリ−は見当たらず、やむなく近
くに有ったTV の修理工場に聞いてみる事にした。驚いた事にノックで出て来たのは何とメル・マグネットで笑いながらブラウン管の山を通り抜け奥の小部屋に案内されようやく話しを聞けた。彼はリベラを立ち上げたばかりで解体屋からジャガ−やオ−スチンのSU キャブを集めてはハ−レ−用にフロ−トを加工して売る商売を始めた矢先の幸運だった。クロ−ムメッキがやたらと好きなオヤジだったがしかし、今日の様に押しも押されぬBig な会社になるとは正にアメリカンドリ−ムと思わずには居られないその時の出会いだった。

2003年4月20日 Hello Boys ! This story from Old Biker.

昔から人のやって無い新しい事だと夢中になり、掘り下げないと納得しないタチだった。それが厄介な事に同じ趣味の奴が身近に増えてくると急に熱が冷めて別の方向を探し始める繰り返しで来た。自分しか知らない (少なくとも周りでは・・ ) と云うのがキ−ワ−ドだと気付くのに長い年月が掛かった気がする。スキュ−バダイブにのめり込んだ20代は殆どインド洋の島で1年の大半を過ごした。
幸いな事にハ−レ−に関しては自分のカテゴリ−(Pan / Stroker / Chopper ) に日本では20年以上誰も居なかったのでかなり楽しめ、仕事として取り組む迄に至った。そんな中 '70年代終わりから '80年代に掛け本格的にメカを覚えずには居られない衝動にかられUSA に渡った。イズミとの劇的なベニスでの再会を通じツトムとも交友が始まり同じ時代を共有する同じ感覚が育まれた気がする。
当時、東のジョ−・スミス(S & S )と並んでウエストコ−ストで頭角を表していたVan Nuysのソニ−・ラスロスキ−率いるPolock Powerレ−スチ−ムを目標に選んだ。雑誌Street Chopperに良く出ていたCarl's やBranchも訪ねたが彼等はヘッドJobつまりポ−ト研摩に主力を置いた商売重視の方向なので自分向きでは無かった。
ソニ−はとても独創的で900SportyのボトムにシャベルBTトップエンドを組み合わせたストロ−カ−をKRTTフレ−ムに積み自分の足としてキックオンリ−で楽しんでいた。
'70s のパ−ツが少なかった時代に彼から受けた刺激はとても大きい波で、無謀な冒険とは違う計算されたチャレンジを目にする事が出来た。しかしいきなり雇って貰える筈も無く何度も渡米して志願したある時、今週末オレンジカウンティDrag RaceWayでエンジン・テストやるから手伝いに来い・・とニヤッと笑ってくれた。飛び上がらんばかりに狂喜して、その日今はもう無いオレンジ・カウンティRace Way( と云ってもLAのオレンジ・カウンティとは全く関係無い場所でオ−トキャンプ場しか無い恐ろしくロ−カルの森の中 ) に向かった。駆け足でピット方向に向かうといきなり目に飛び込んだのはCB750K を3重連結したラス・コ−リンのRCエンジニアリングでのちにバンス& ハインズの2人が見習いとして入る有名チ−ム。しかしこの600馬力モンスタ−は真直ぐ走らせる事が出来ず後年、悲惨な大クラッシュを迎える事になろうとは・・・。更に現在Patrick RacingとしてEvoビレットエンジンを造っているナイジェル・パトリックもイギリスから来たばかりでRC クル−として働いていた。RCのスポンサ−であるパフォ−マンス・マシ−ンの代表ペリ−サンズもまだBigでは無くロッキ−ドのフルコピ−砂型キャリパ−を売って小さな商売をしていたがピットに顔を出して記者のインタビュ−に答えていた。その隣がPolock Power ピットで新しいTop Fuelのテストが始まろうとしていた。ソニ−はもう少しで暗くなるから待てとウィンクしたが意味が解ったのは30分後だった。やがてとてつも無い爆裂音でエンジンに火が入り、生まれて始めてナイトロメサン (和製英語でニトロメタン) の暴力的に叩きつけるズバッバッバッと極端に短いパルス音と排気管の焼ける匂い、稲妻の様な青白い炎に完全にノックアウト食らい隣りのRC3重連が眼中から消えてしまった。自分の求めていた世界が急に開けて危険と隣り合わせのゾクゾクする感覚だけがピットに広がって猛烈に咽が乾いたのを今でもハッキリと覚えている・・・CONTINUE

ko at DJ booth AGEHA in shinkiba 3,000 capacity pass
shevy ?
2003年4月16日 by Ko Kimura

ツトムサンに「普段の仕事の事などコラムに書くの コウちゃんどう?協力してくんない」と聞かれ「書いてもいいですよ」と二つ返事でオッケーしたにはいいものの どんな事を書こうかと考えつつ最初に思いついたのは いつも思っている僕のお仕事「クラブDJ」と「ハーレー屋」があまりにも似ているという点です。
全然違うじゃん!どこが似てるんだ?と思われるでしょうが カッコ良さ、アンダーグラウンドさなどの個性を追求する点が先ずそうでそれでいてメディアへのアプローチの仕方、取り上げられ方などの重要さなどもありつつも メジャーになる過ぎると意味もなく悪口を言われたり、それでいて地味すぎると誰にも相手にされない などもすごく似ています。結局、DJという音楽の表現方法もハーレー屋も ユーザーの個人の好みで好き嫌いがはっきり分かれて それでいてどれが一番かマラソンのように決められない所が僕はすごく似ていると感じています。
結局ナンバーワンといわれるようになる指標は売上であったり 有名さとか本人のセンスとはすこしかけ離れたものになってしまいます。
最先端過ぎても売れないし、時代を一歩遅れて狙ってお仕事すれば なかなか有名にもなれて儲かるが 端から見てかっこよくないなどという事もすごく似ていますね。僕の業界もやはり最先端がかっこいいとか ヴィンテージが偉いとかがいいとか言いつつ コアな人ではなく、多くの一般ユ−ザーに意外と受けてお金になってるのは本物ではなく何となく「なんちゃって」的なものということも似てると感じます。面白い事に あのDJをハーレー屋に例えると「・・・モータース」だとか言えてしまえる所もあったりして笑えます。「日本のジェシー・ジェームズ」というとDJ・・・とか。「日本のジェシー・ジェームズ」なんて言い方は「下町の玉三郎」みたいでかっこ悪いですが。
僕自体は41FLという俗に言うヴィンテージバイクという古いものにかなり入れ込んで乗ってますが、自分の職業では最先端のベルギーで300枚だけ売り出された!とか まだ売りにも出ていない曲ばかりをかけるのを売りにしているところが正反対で不思議です。いつも自分達は「あのDJ、あんな古臭い曲ばかりかけて いい曲なのはわかるんだが同じ曲何回もかけて飽きないのかな?僕はやはり時代の最先端の方がいや」なんて思っているくせに バイクは旧車が自分には合うなんて思っているところが自分勝手ですね。自分の職業のスタンスから行くとヨーロッパの最先端カスタムでもいじりまくって乗るほうがあってるとは思いますが。でもなんだかんだ旧車に乗ってるとかいっても「最先端」 という言葉にやはりすごく弱く 細かいところでスプリンガーに もう5年位も前からいち早くスェーデン製のダンパーを入れたり、自作でテールランプの中身をLEDにしてみたり 最近ではすぐにバランスマスターを入れてみたりなど変なことで 自己満足とは思いつつも ちまちまといろんなギミックやアイデアを自分のバイクに入れ込んで 他の旧車ファンとの差別化を謀っています。 クラブDJという職業は 基本的には世界中から集まってくるレコードをうまく組み合わせてミックスして 一晩で始めは地味な曲から始めだんだんとテンションが上がる曲にしていき すごく盛り上がる曲でガンと盛上げつつ お客さんが踊りつかれたら今度はゆったり目の曲で休ませたりということなどをして ちゃんと起承転結をつけるようにしています。それはまさに音楽のコース料理ともいえるでしょう。
DJなんてちゃらちゃらして人の曲をかけてるだけと思われる人も たくさんいらっしゃるでしょうが「ラジオのしゃべりDJ」や名前だけのDJではない ちゃんとしたクラブDJは結構というか かなりまじめに音楽に取り組んでいます。というかただのオタクの世界です。 人の曲を使って商売してちゃんとしたミュージシャンでは無い!とよくいわれますが、ハーレー屋も世界中のパーツディストリビューターからリリースされる既存のパーツを組み合わせて自分自身のセンスで一台一台を組み上げて個性を出す、ということと全く同じです。あのビルダーが使うとあのありがちなパーツも・・・モータース風になっちゃうんだなーなんて事をよく感じられるでしょうが DJにも
「コウ君があの曲かけると すごくコウ君ッぽい感じがする」とか言われたりして面白いです。
既存のパーツで満足できない時はワンオフでパーツを作ったりしますが、自分達もそれと同じ感覚で作曲活動をしています。ま、どんなことをするにしても自分がどれだけかっこいいと信じて それをどこまで追求できるか?ということが重要でしょう。
ちょっとまじめすぎる話になってしまいましたが また何か自分が感じるハーレー業界の話などいろいろ書かせていただきたいと思っています。また、そのうちJUNK MOTORのホームページの中で今まで自分が作ってきた「変なアイデアパーツ製作記」みたいな事も企画中ですのでご期待ください。
ではまた CONTINUE!