2003年4月5日

 LAのダウンタウンから10FWY(サンタモニカフリーウェー)を西に行くと海岸線に出ます、そこからは道の呼び名がPCH(パシフィックコーストハイウェー)に変わります、映画アメリカンジゴロのオープニングでリチャードギアが乗るSLが、ブロンディーのCall Me をBGMにマリブまで飛ばす道で左に大平洋、右はオーシャンビューの豪邸が立ち並ぶ絶景のドライブです、山側はサンタモニカヒルから始まってパリセイズ、サンセット、トパンガキャニオン、マリブキャニオンと続くワインディングロードがいくつか在り、どの道も週末になると自慢のホットロッドを駆出して走りに来るフリークやバイカーで賑わいます、世界中で一番マシーディーのオープンが多い道かなあとも思いますがやはりサザンカリフォルニアらしく'50sのデュースクーペやシェビーコブラなんかもよく見かけます、オリジナルかどうかは怪しいのですが。有名な波乗りのポイントも多くサーファー達が乗って来る旧いアメ車もウッディーなステーションワゴンだったりサーフェーサーだけのPink Upなどで、とーぜん皆トンでいてパラダイス状態、もちろんラップのロイクも居るしメキのギャングもパトロールしてます。 サンセットBlvd をパスしてトパンガキャニオンBlvdを山の方へ上っていくと、みなさん御存じジェームスディーンがポルシェ550スパイダーで激突死を遂げたマルホランドドライブに続き、その手前にはバイカーには有名なロックストア(レストラン)が在って皆さんハングアウトしていて日本車やイタ車も普通にいます、以前このコラムで書いた私の最初のルームメイトのプレストロータリーのシャコタン君は1976年ここにマッハ3で通っていたそうです、その時知り合ったバイク仲間の一人にメキシコの麻薬カルテルのボスの息子がいて、以降彼はディーラーとしてマリブに住み着く事に成ります、それまでは日本食レストランのデリバリーをマッハ3でしてたんですからかなりの出世です、しかしカネ回りが良くなったのにプレストのオーバーフェンダーというのは理解できませんが、今では結婚して東京に住んでおりマダム神保町の旦那です。 

2003年3月14日

 こどもの頃、オートバイを買ってくれないと家の家業を継がないと言って親を脅してました、ウチの場合自分が次男だったので、すでに兄がやってしまっていたのを知らずに口にした時、母親にかるく流されてしまったのですごくショックでした、自分ではせい一杯考えたお互いが歩み寄れる自分には都合のいいオファーで、取り引きと云う汚いオトナのやり方を覚えた時でした、どっちにしろオレはオートバイを買ってもらえるか、イヤだった家業の日本蕎麦屋を継がなくて良いと云う、ほとんどイカサマのディールで親に通る理屈ではありません、浅はかな申し出はその場の話題になる事も無く終わりましたが、その際オヤジがチョット気になる事を言ったので事あるごとに証拠として持ち出しました。 父親はどうせ買うならオレはインディアンかトライアンプが好いと言ってしまいました、昔の人なのでトライアン「プ」と発音するんです、家は市営の川口オートレース場に近くて彼は当時競争車両に使われていたトライアンフ650フラットトラッカーのファンです、私も高校1年に連れていかれて以来夢中になりオートレーサーになる事を夢みた時期です、オヤジも賛成していましたがちょうど私の年代に選手募集がなくて叶いませんでした、そのかわりレース場へ日参するようになり、私の青春は歪みはじめ公営ギャンブル場、場末に身を置く事の快感、優越感?みたいなものにハマってた時期で頭悪かったと思います。 インディアンは近所に真っ赤なチーフに乗る金持ちがおりオヤジは随分欲しかったようです、中学の頃に蕎麦屋で出前に使っていたホンダのビジネスバイク、50ccの黒バイを、家の者が全員寝静まったころ丁寧に出前機を外してから、銀座行くべー、日光街道まっつぐだべー、と乗り出して警察に捕まって、以来私のバイクに対する両親の待遇は最悪になり親からオートバイを買って貰えませんでした、経済的には裕福な方でしたが信用無かったですね、あの時、銀座なんか行かないで近所にヨバイに行ってれば、今頃は、、、、。

2003年3月7日

GIFTは日本語にすると、贈り物、御歳暮、御中元てなっちゃうけどもう一つ神様がら頂く生まれ持ったその人の才能の事を指すバヤイ多いです、なんて魅力的な表現をするんだろうと感心します、日本人は総じて親から受け継いだとか遺伝とか云いますね、でもそれは本当は神からのギフトなんだそうです、多分にキリスト教の影響ありますね彼等の場合。   いつも考えています、自分が持っているギフトなんだろう、、、はたして持っているのか、持っているとしたらなんで気が付かないんだって、ひょっとして俺がにぶいのか、そもそも全員が平等に持って生まれてくるなんて青い臭い考えと云われそうですが、気になります。  違う表現するとORIGINALITY、独創性、この言葉にも弱いです、自分に欠けていると思うよう心掛けて来ましたが、実際欠けていて文字どうり抜群という特技はありません、無いものは欲しくなります、ずっと捜してきて40才過ぎちゃいました。 個性の強いものがスキです、また自分がそうでありたいと願っています、チャンネルにするとオールドスクールが好きです、中学、高校で形成された自分のノリは今も変わりません、バイクのスタイルではなくて生活のスタイルの話しです、昔暴走族だったから今もどこかのクラブメンバーなんて云いませんが、やっぱり今だにステッカー好きですね、頭ん中は変わりません、だからギフトが見つからないのかもしれませんね、いいえきっとこれが私の才能なんですかね、いつまでも子供でいられることが、なんて強引なんでしょう。 才能を英語にするとTALENT、タレントになりますけど、日本人には良く聞こえませんね、芸能人に繋がりますので、IDOLE、アイドル,偶像神、、土偶なんかもアイドルって呼びますね、あの宇宙人じゃないかと云われているヤツ、話しが飛びましたが今だに捜しています、これだったら人に負けない物、、、向上心と云うとカッコいいけど40の手習いとも云いますね、ハーレーもそうですけど特に自分の乗っている車種は人には負けたくないでしょう、それが純正度だったり最高速、希少度、排気量、どれでも良いと思いますが今のところ僕達にはハーレがアイドルで、気持ちが傾倒することに陶酔できる唯一の対象だと思います、今回はなにを書いてるか良くわかりませんでした、やっぱり私はコラムニストの才能有りませんね。

2003年/2月/27日

日本のオフィイスでAFNを聞いていると、ブッシュの演説が始り、例によってサダムフセインの悪口から始まって、アメリカ、ユナイテッドネイションは最強である、アルカイダに加担する者は誰一人許さない、近頃の定番のスピーチで、カメリカの国歌が斉唱されると、観衆は拍手がなかなか止まりません、日本人に生まれた私が誤解を恐れずに告白すると、アメリカ人に対して嫉妬する瞬間です、自国に対するロイヤリティー(忠誠心)を私が全く持っていないとは言い切れませんが羨ましいと感じてしまいます、子供の頃から常にどこかでアメリカという国、文化に憧れて育った事は事実で環境と時代がそうだったとも言えます、大好きだったTVシリーズにコンバットがあり日本人のくせに同盟国のドイツ軍を嫌いでした、中学の頃にはアイビーをきどって、頭はGIカットにしていましたね、まるっきりの非国民と言えます。原因は簡単ですカッコイイからです、まずハードウエアーのデザインいまでもスキがあったら女房に内緒で買っちまおうと決めているのがサンダース軍曹がもっていたトミーガン、パークライジングされたガンメタリックは男ならだれでも気が変になりそう、間違いが起きてしまいそうなイケナイ雰囲気を放っています、戦闘機は買えませんがマスタングP51、ジュラルミンの地肌に描かれたノーズアートとティアドロップ型のキャノピーは60年前に造られたのが信じられない位です。 機能美という表現は現代のメイドインUSAにもあてはまると思います、それがシェビーのPICK UPだったりマッキントッシュのアンプやラブレスのナイフあるいはハーレーダビットソン。  はいやっと繋がりましたね、取り留めも無く書きはじめたのでどこで締めようか困っていた所です。もしも仮にアメリカという国以外でそれを凌駕する工業力と長い繁栄を続けた国があったとしたら、ドイツがそれに一番近いと思いますがなぜかいまいちシンクロしないのはソフト面のせいでしょうか、もちろん民主主義云々有りますけど本当に憧れたのは自由の国(今はどうか判りません)だったから、日本が自由じゃなかったからですね、もっというと私の子供の頃の家庭が自分には不自由と感じていたんだと思います、こんな事をかくと母に申し訳有りませんが皆さん多かれ小なかれ感じていた事、高校になったらバイクを買って(盗んで)どっか知らない所へ行くんだ〜的な野心、今は忘れてしまったんでしょうか、いえいえ考えてますよ私は、女房に内緒のジャーニー、仕事とウソついてNEW YORKのチェルシーHOTEL 三泊四日、沢山もって、、、ククッ。

2003年/2月/19日

GRASS, POT, WEED, LOCO WEED, DEVILS'S WEED, HEMP, BUSH, SMOKE, MARY JANE, DOPE, MOTA, WACKO TOBACCO, TEA, DAGGA, GANJA, BHANG, KIF, T.H.C., CHARAS, MACONHA, マリワナの呼び方にも沢山あってローカル達と話しをする様になると始めは何を云っているのか判らないでイナカをくらう事たびたびです、そのうち親指と人さし指で摘んで口元に運ぶしぐさで Oh yes ! I do となります、ストリートでは殆どマリワナとは発音しません、大体ポットかグラスです、ポットの語源はおそらく栽培する時の鉢から来てると思います、ですから完成品のジョイントもポットと云うしまだ生きてる鉢植え状態のマリワナもポットです。 高校出て南青山の4丁目にアパートを借りて赤坂見附にあったペントハウスというクラブでバイトをしていました、今のクラブとは違うオトナのクラブでホステスが10人位居てフィリピンバンドがBGMを生演奏するラムールな雰囲気のゴージャスナイトクラブです、オンナノコ達もパツキンやハーフ、女子大生ばかり、そこでウエイターをやっている頃に初めてマリワナ吸いました、ちょっと前までシンナーをやっていたのでそれほど感動した記憶がありません、覚えているのはやたら腹がへって食いまくった事位ですが、アメリカでのそれは違ってまさしくストーンしました、環境のせいかもしれませんがやはり物が違っていたのも確かです、フィリピンバンドを彼等の住む赤坂のマンションへ送る時にボーカルの女の子がメリージェーンと云って小さなカタマリを手渡してくれました、彼等がミュージシャンだからメリージェーンと呼んでいたのかそれは判りません、ロスアンゼルスでメキシカンのディーラーから買う時はモタと言います、マレーシアで友達になったイスラム教のニイチャンは、"神様云ってる、アルコールだめ、ガンジャ OK ! "。 T.H.C.は大麻に含まれるキク成分の学術用語でテトラ、ハイドロなんとかと言うやつの頭文字だったと思います、海外では末期ガンの患者やエイズ患者などに人間が合成的に造ったT.H.C.を投与して、余命いくばくも無い患者にささやかな幸福感与える事を病院が平気でやっています、今アメリカの多くの州で、ヨーロッパで、合法的に吸われる様になりましたが、日本では高速道路の2人乗りが禁止されている位ですからあと100年は無理でしょうね。

2003年/2月/11日                             電話を切って2時間もしない内に止まりました、御丁寧に砂漠のまん中で20年以上前の話しですから、携帯も持ってませんしトリプルA(日本のJAF)にも入っていません、相棒の大学生をその場に残し近くの町までヒッチハイクする事にしました、クルマはすぐに止まってくれて一番ちかいガソリンスタンドまで乗せてもらえました、そこからがひと仕事で、その町の修理屋を紹介して貰いレッドネックのメカニックのPICK UPで泣きそうな顔の相棒が待つトラックに戻るまで半日かかりました、私が居ない間に何人か止まってくれたそうですが、彼は英語しゃべれないので無視していたそうです、私がメカニックと現われると本当に泣きだしてしまい今直ぐ日本へ帰ると言い出しました、もしかするとだれかにヤラレちゃったのかもしれません。     このメカニック、アメリカのイナカ者丸出しのナイスガイでした、止まった状況をひととうり説明すると後はもくもくとエンジンルームに上半身をつっこんで2時間位掛けてシリンダーヘッドを開けて修理してくれました、結局6気筒の内2発が死んでいて、その内の一発が圧縮がもどらず5気筒になりましたが見事に修理してくれました、毛むくじゃらの腕がとてもたくましく見えて、またアメリカ人が好きになった瞬間でした、あたりはもう真っ暗でエンジンが掛かかりヘドライトが就くと相棒はすでに運転席に座ってやる気マンマン、   修理代を払う時に確か$250位請求されましたがカードで払おうとするとメカニックは照れくさそうに、もしも今現金で払ってくれるなら$200でいいよ、と言ったのでスグに払い、別に$50チップをあげると初めて笑顔になり予備のプラグを6本くれました、そしてトラックを整備したヤツをクビにした方が良いといって、真っ黒の顔を拭こうともせずに帰っていきました、当時の$250はけっして安い修理代ではありませんが、たとえ$500でも黙って払ったと思いますし、なによりその場で修理してくれた事が自分達には幸運です、もしもトーアウェーして、工場入りなんて事は引越しの日程が詰まっていたので考えたくありませんでした、その夜のモーテルで飲んだビールのうまかった事といったら、、、最近うまいビール飲んでないな〜。

2003/2/2

一日18時間運転して、R66添いから街が無くならない内に今日泊まるモーテルを決めます、綺麗な、本当に綺麗なネオンサインを幾つもパスして、なるべく安全そうなモーテルを選びます、これもぜんぜん当てにならなくて、大体何を基準にOKか否か、説明できませんが、いわゆるメジャーな、大手のチェーン店で、GOLDEN WESTとか、MOTEL NO,5とか7、たしか1〜9まで在った気がするけど、有名な所を選ぶのが無難とされています、だけどもVACANCY(空室)の赤いサインが消えていると、そんなこと言ってられなくなります、ヤバそうな所でもそこをパスすると、次ぎの街まで何百マイルもあるし、途中で車の中で寝る事は一番キケンです、特にトラックですから持ってッてと言ってる様なもんです、荷物なんかどうでもいいけど強姦されたり撃たれたりしますから、はたちのポン人だったら性別なんて奴らは関係ないんですよ、渋々チェックインすると、夜中にパトカーが来て、どっかの部屋でもめていたりします、それでも不思議に私はモーテル大好きです、フリーウェーから観るイルミネーションも、バスルームの真っ白なタオルや、朝ギャレーに置いてあるFreeコーヒーやデニッシュ、変な形のプール、もう二度と再び訪れる事の無いアメリカ片田舎のモーテル、なんともセンチメンタルな気持ちになってチェクアウトします、昔流行ったMOTEL'Sのボーカルを聞くと、今でも鮮明に思い出してガラにも無く胸の奥がキュッとしちゃうのは年取ったせいですね。   シックスシリンダーのトラックが本当は4発しか爆発していなかった事が判明したのは、ヤッパリ砂漠のまん中でした、そもそもロスアンゼルスを出発したときから、最高速度50マイルちょっと、私が発見したターボスイッチ(エアコンOFF)を押しても60マイルに届かないので、おかしーなーと思っていました、途中で引越し屋のOFFICEへ電話して、クルマ大丈夫〜って聞くと、支店長が電話に出て ”大丈夫だよー、整備はバシコにやらせたから〜”えーーーーーーーーーーー。と絶句しました、このバシコ、本名は小林と言いますが、とんでもないヤツです、当時彼はハリウッドの自分の家のガレージで、例のプレストロータリーのシャコタンや、CB750のチョッパーなどを造っていた、僕達の仲間で片手間に車の整備をしているにせメカニックです。 電話を切って相棒がどうしたんですか、と聞くもんで、うう〜ん何でも無い、ちょっと気分が悪いだけ、、、。CONTINUE!!!!

'03/ 1/28

バルチモアのCOFFEE SHOPに入った瞬間、中に居た客と従業員全員が一斉に俺達を睨みました、皆さん黒人でいらっしゃいまして、どうみても場違いな日本人が二人入って来ちゃいました、Tボーンステーキを注文して、にらめっこが始まりました、同じことが日本のイナカでも有りますよね、それがパツキンのねーちゃんだったりすると、目が放せない心境は判りますが、それを考えると私はとても恐いです、黒人の皆さんが私の裸を想像しているなんて。  ステーキを食べ終わるまで、ずーと見つめられていたので味なんて判りません、隣の席の三人は俺達がナイフとフォークを使えるか賭けをしていて、負けたヤツがスゴク怒っていました、早々にそこを逃げ出してニューヨークへ向けて出発しました、生まれて始めてハドソン川を渡ってマンハッタンへ入り、ソーホーと云う倉庫街を捜して目的の住所にたどり着くと、そこに待っているはずの日本人がおりません、何日か予定の日をオーバーしていたので、本人はもう違う場所へ引越しした後でした、彼の友人から新しい住所を聞くと、スタッテンアイランドという島で、マンハッタンから自由の女神をはさんで反対側にある小さな島です、サンフランシスコからはるばるウン千キロやって来たのに、めまいがしましたね、それでも気を取り直してフェリー乗り場をさがし、船でスタッテンまで行きました、待っていたのはゲイの自称アーティスト、アトリエを造っている最中でした、荷物はたったの一個、中身は普通のテレビが一台、どう考えても怪しいけど、来る途中で何回も落していたので、相棒の大学生に目配りして、急いで、その場をはなれました、その後なにもクレームが来なかった事を考えると、ヤッパリ中になんか入っていたんじゃないかと思います。

'03/ 1/24

看護婦さんでも無いのに、イージー、イージー、とつぶやきながらボクの体をさすり始めました、見た目は白人だけど、ポゴ、レフティーと言ってクスクスと笑われたのでセニョリータだったと思います、スパニッシュで少し左曲がりと言う意味です、5分もしないうちにすぐ戻ると言って出て行き、なかなか戻ってきません、戻って来たと思うとまたスグ出ていっちゃいます、結局40分の内ボクの部屋に居たのは15分位、ヤラレました、その夜は女の子は彼女ひとりしか居なかったんです、5人位いた客をかけもちしていて、ぬかずに、手を抜かれてしまいました、マネージャーに文句も言えず、世間の厳しさを教えられた夜でした、皆さんにもこんな夜が一度や二度有るんじゃないでしょうか、ボクは多いですオンナを呼んで、ブスでも断れない世渡りのへたないいかっこしーです。 それでもボクはサンフランシスコ大好きです、このあとに行く事になるダラス、チャタヌーガやバルチモア、東海岸では更に、イナカをくらうはめになります、その前にすこしアメリカ大陸のスバラシイ自然と懐の深さを教えられました、いやホントに、、サンフランを出て東へ向かうとフラッグスタッフと言う町を通ります、ここで今迄観た事も無い景色に遭遇しました、真夜中最高速度50マイルしか出ないトラックで田舎道をトコトコ走っている時です、道の両脇を平行して飛んでいる無数の光りに気が付いて車を路肩に止めました、ホタルの大群でした、ハイウェー沿いの水路にそれは居ました、見とれていると相棒の大学生が空を指差し顔を上げると、そこには埼玉県では観た事も無いハッキリ川の形をしたミルキーウェー、天の川。 急いで運転席に戻りジョイントを巻き始めました。   CONTINUE!!!!

'03/ 1/20

一番わりのいいアルバイトは引越し屋でした、70年代のアメリカは日本の企業が多く参入して来た時代で、現地駐在員が急増していました確かコマツ(重機)専属の会社で半年位、トラックの運転手兼、オペレーター(重労働)で殆どの州へ往きました、約一ヶ月で五ケ所位を、一筆書きで回ります。 つまりLAを出発して、サンフラン、テキサス、シカゴ、ニューヨーク、ヒューストン、フェニックス、こんな感じで荷物を積んだり、降ろしたりしながら一件ずつかたずけていきます、今では到底出来ない肉体労働だし、そもそもエイゴもろくにしゃべれない上、ローカルの情報もありません、もちろん往った事無い街ばかり、黒人街、リトルイタリー、メキシカンの町、マンハッタン。  だいたいよくオレみたいなヤツを雇うなーと思いますね、さらに助手の大学生は、一ヶ月前に、大阪から出て来たばかりで、ドライバーズライセンスを採ったばかり、テンポラリーの紙きれしか持って無い上、エイゴ判りません。 最強のコンビが乗るトラックは日本ではとうに廃車もんのボロボロ、このトラックのおかげで、数々の物語りを味わう事になります、、現在は中断されてしまった、R66をEAST BOUNDで何度も東海岸まで飛ばされました、わりのいい、と云ったのは、賃金が良かった訳で無く色々勉強になったと云う意味です、だって今思い出したんですけど2度とやりたくねー、と助手に当っていた事を忘れてました。 始めはいつもサンフランシスコからです、LAから近いし、コマツの西海岸のブランチで、社員の家が沢山ありました、引越しツアーの初日だし、まだ元気もあるので、ホイホイと仕事をかたずけ、チャイナタウンへお米を食べに行ってから、マッサージパーラーへ突撃します、LAから持って来たドープを順番を間違わないように全種類ヤッテから綺麗なネオン管のサインが有る、レンガ造りの古い建物に入りマネージャーと交渉しますが、半分意識が無いので敵さんのペースで料金も決まり、通された薄汚れた個室でスッポンポンになりベットで借りてきたネコ状態でオンナを待ちます、心臓の音が聞こえてきて、次ぎに足音が近ずいてくると、ボクは逃げ出したくなりました。 CONTINUE!!!!

'03/ 1/10

STONED, HIGH, SMASHED, FUCKED UP, LOADED, RIPPED, FLIPPED OUT, LAYED BACK or TOASTED..etc.. とんでる状態を色々な形容の仕方しますが、みなさんはイメージできますか、例えばストーンは好く使われます、石になった状態を想像すると納得です、ハイは日本人が使うとイナカです、『私ってナチュラルハイなの』とかなんとか言ってる女の子いますけど、もういいよ、、やらせ無いんなら早く帰れでしょ、スマッシュド、これは酔っぱらった時にも使いますね、ぶち壊れたって感じ、次ぎのコトバはキケンです、なんでもアメリカ国防総省のサーチエンジンを使って日夜世界中のウェブサイトを見張っている機関があるそうで、Fで始まる下品な単語や、麻薬関連の記述、テロに関係した事柄などを監視しているそうです、事件性がなくともリストに載るのは避けたいけどもう遅いかな、とにかく意味とすれば、つかいものにならない状態ってこと、 ロ−デッド、なんともピッタリな形容で、弾倉に弾がこめられた状態、いつでも撃てますよ、ロック、オン、ロール。 リップドは説明が難しい、引き裂かれた、と言うより、悟ったというふうに使われます。 フリップドアウト、どっかに飛んでっちゃった、フラフラでーす、レイドバックはリラックスと同じように使うけど、あまり聞かないです、最後にトーステッド、こんがりきつね色に焼けちゃって一丁あがりって感じです、以上勝手に訳しましたが、主にマリファナを吸った時の状態を現わすスラングです、その他のドーピングには当てはまらない表現もありますので御注意下さい、使用される地域サウザンカリフォルニアのストリートが主ですが、その他48ステーツでも使用可。

'03/ 1/6

『ダディとじゃなきゃ、、行かない!』って云うんだぜ。このオレにだぜ!     自分の子供がかわいい年になってきたとイズミに話したら、こんな事いってました、そうです、こんな私にも2才7ヶ月の娘がおります。私は不真面目な生活をしている自覚が有りますし、人の為に仕事はしてませんが娘はそんな私を好いてくれます、そんなこたあ親子で当たりまえですがそれに気が着くのに44年も掛かってしまいました、ハーレーダビットソを子供のころから観て来て最近になってやっと気が着くことがあります、それは純正部品のスバラシイ事です、材質、デザイン、耐久性、特に旧いモデルの純正部品は、経年を重ねるごとにその輝きを増します、中でも50年代のそれは音楽や建築の分野でも他の年代と違う雰囲気をもっていてノスタルジーに浸れます、子供のころ大好きだったTVドラマに、アイラブルーシーというのがあって主人公の赤毛のルーシーの生活が、白黒だったけどぶりりあんとで子供ごころに嫉妬していました、たしかルーシーカーマイケル役でルシ−ルボールが本名だった様な、、50年前のパーツをつぶさに見るとその造りの完成度が高い事に驚かされす、やっぱり戦争に負けるな〜と思います、やたらと出てくる羽や星のデザインも今みるとカッコイね〜、『ハーレーじゃなきゃ、、行かない!』って感じですかね〜。

'02/12/25

ロスアンゼルスのダウンタウンを、シラセイズミのPick Upで、ひさしぶりにパトロール、べつにドラッグディールに行った訳じゃなく最近ホームレスが増えて、5thストリートあたりが、映画のセットみたいで面白いよ〜、と云うわけで夜中にチェック、まるでブレードランナーの世界にそっくりになってます、交差点ちかくにたむろす浮浪者、路上の焚き火に集まり朝までオールしています。ブロードウェーの商店街も相変らずメキシカンや黒人ばかり誰がディーラーでだれが客か判りません。アーティストディストリクツと云うむかし流行った倉庫街にアーティスト達が集まった地域があります、以前はブロンディーのアトミックカフェがあった場所ですが、ずいぶん寂しくなっていました、6thストリートを西に行くと、マッカーサーパークがあります、この公園の前を通るとイズミと苦笑いしてしまいました、20年前はドラッグディールの聖地で24時間営業、無いものは無い、だれでも一度は買いに行く、踏み絵のような公園です。さらに西へ行くとコーリャンタウンになり、急にハングル文字だらけになります、ここも怪しい地域である意味近未来の映画の場面に似ています、LA暴動の地です。クレンショウを左折して、南に降りるとこんどはロイクの街イングルウッドまでパトロール、なぜか真夜中にマイノリティー地域だけ選んでチェックするのは、昼間ビバリーヒルズに行くより全然面白いから、恐いもの見たさでしょうか。

'02/12/12

15年ぶりにL.Aのバレーにあるノースリッジという街に行きました、バランスマスターという会社で、フライホイールのアクティブバランスをしてくれるスペシャリストです、従来のバランス取りは、フライホイールにドリルして行うスタティックバランスと、ウエイトを追加するダイナミックバランスの2種類です、ところがバランスマスターではアクティブバランスと云う、まったく新しいバランシングの技術で軽量バランスしてくれます。リキッドメタルをフライホイールの外周に埋め込むことで全回転域でかってにリキッドメタルが移動してアクティブにバランスを取ります、従来の方法は、ある一定の回転域で任意にバランスどりしているのに対し、アクティブバランスはアイドリングからオーバーレブまで、どの回転域でも自動的にバランスします、ブループリントを施したナックルも、アイドル時にブルブル震えていたバックミラーの振動がピタリと無くなる程です、 ただし値段が高いだいたい$700位とられます。そんな訳でどーにかならんかねと訪ねた次第です、  事前に社長秘書のポーラとe-mailで打ち合わせしていました、ポーラって言うくらいなのでブロンドのビッチを想像してたのに、期待外れのオバサンでしたが社長が好い人で代理店契約できました、やっぱり当って砕けろですかね、でもボクの場合こればっかです、草加せんべのおみやげが効いたのかな〜〜。

'02/11/30

実は最近頻繁にカルフォルニアを行き来しておりました、取引量が増えた為、新しくサンタアナに倉庫けん隠れ家をOld Bikerと共に造りました、レジデンスでないとアメリカ国内では、なかなか平等に取り引きさせてくれないのがアメリカのオークションの世界です、日本国内での販売価格をより一層、現実的な値段にする為クリアーしなくてはいけない条件です、ふ〜〜いそがしかったー、なんとか気に入ったガレージが手に入り、グッドイヤーのダブルリボンを集めて喜んでいます、CMSもいろんな色が集まりました、クリスマスセールする予定です、予定!お店の宣伝になってしまいましたが、しばらくコラムの更新をサボっていたいいわけを書かせて頂きました、スミマセン、ついでに告知しますが、私がカルフォルニアで仕入れに使っていたシェビーのピックアップCー20を170万円で売りに出してます、前オーナーはガレージの大家さんで、シボレーのディーラーでチーフメカニックをしています、スキな人はメールでお問い合わせください、AAA+++コンディションです。

'02/11/13

バンナイズエアポートにあるパイロットスクールで、ヘリのライセンスを取る為勉強しました、回転翼の免許には2種類あって、主にロビンソンR22のようなフラット4のレシプロエンジン免許と、ジェットエンジン搭載のコブラやアパッチ、シコルスキーまで全部乗れるジェット免許です、当然アパッチに乗りたかったのでジェット免許に挑戦しましたが、、、そもそも私は工業高校を草むしりで卒業させて頂いた、生え抜きのバカでして、だいそれた事をしました、レシプロに40時間、ジェットに20時間位乗って、学科がウェザー、アビエーションルール、メカニカル、エアロダイナミクス、とかなんとか、当然英語でやられまして、ある程度乗れる様になるとソロで知らない飛行場にタッチ&ゴーをしに行かされます、コワイです死んじゃいますマジで、操縦桿はゲームと同じジョイスティックですがクラッシュ=死亡、私は本当に命からがら戻って来ましたが同期の一人は今でも戻ってきません、その一人以外は全員どうにか免許とれました、私も奇跡的にライセンス貰えましたが偶然取れたと思っています。だれでも自分がどれだけバカか良く判ってます。 あんなに苦労して取ったヘリコプターライセンスなのに今では何の役にも立ちません、日本では機体のレンタル料金がべらぼうに高くて話しになりません、おかげで女の子を口説く時の自慢話しに使う位ですが評判悪いです。

'02/10/30

ハロウィンちゅう行事を知ったのは、此のころのロスアンゼルスで、それまではディズニーマンガのカボチャしか知らなくてやはりトバされました、その日、夜の7時にサンタモニカFWYをDOWN TOWNへ走っていると、追いこし車線を走っているベルエアの運転手のチューバッカと目が合ってしまいました、変な奴がいるなーと思いながら、チャイナタウンでチャウメン食ってると、となりの席でジェイソンが肉マン食ってるので、う〜ん、けっこうキテるなー、なんのせいだろと真剣に考えたけど判らなくて、恐い思いをしました、その夜のアルバイト先は、ウエストロサンゼルスの老舗、レゲースシバー、スシハウスでてんぷらを揚げていました、来るお客の格好を見て、やっと理解できました、ハロウィンがアメリカのお祭りということを。

'02/10/25

91年のスポーティーを新車で$5600で買って、そのままアンディーハンセンのガレージに持ち込みました、一応ひととうりイロウてもらい、一万ドル位取られてスグ壊してしまいました。キャッシュで一万ドル造るのに一年位取りに行けない時期があって、ある日カネをにぎりしめて取りに行った日にウラに通されました、まだ入った事の無かった部屋に、ハーレーが15台位あってその一番ハシに私のバイク、アンディーいわく、『トム、おまえは成績が好い方だよ、ほかのバイクは5年、10年とカネが払えず、取りにこない奴のだ、一年なら早い方だよ』と言ってた、そうか〜。ほとんどの車両がチョッパーで、今ならヨダレ物が沢山あったなー、まだもってるだろーなー、でも売らないだろーなー、来月チェックしに行こ〜。

'02/10/21

ドーピングばかりしていた訳では無く、パトロールも欠かさずしていました、WASHINGTON Blvd がPlaceと分かれる近くにアンディーハンセンというハーレーのガレージがあり、良く遊びに行きました、カスタムショップと書かなかったのはお店の看板がなかったからです、表立って商売してません、Blvdから少し入ったDrive沿いの普通の民家のバックヤードにあるガレージがバイカーの溜まり場兼ピットでした、アンディーは50才位だったと思いますがとりまきがスゴイ人たちでした、ハッキリ云って始めの頃私の事は無視です、露骨にジャップと呼ばれます、なんと云っていいか判りませんがまったく相手にされてません、もちろんジョイントも回ってきません、さむい、やっと一年ぐらいした頃回ってきました、それで仲間にしてくれたとは思えませんが、とりあえず黙って入っていってもOKになった時はうれしかったです、アンディーのプロスペクトが何人か居てスコットと云うヤサ男と仲良くなりました、綺麗な青い目をした、TATTOO男ですが静かでcoolな二枚目です、色男はカネが無いのが世界中同じようで、彼が組んだハーレーを日本に送りカネを造ったりして信用してもらえる様になりました、その時は知らなかったんですがアンディーは当時イージーライダー誌のテクニカルをサポートしていて、仕事場のガレージはまるで町工場の様でした、マシンショップで十分通用します、私が想像していたアメリカのハーレー専門ガレージそのままの、なんとも言えないcoolな空間でして、ハングアウトするにはとても居心地の良い環境で時間を忘れました、現在JUNK MOTORのメインテナンスをお願いしている、OID BIKERも同じ環境のお気に入りで、私は数年前までHOT BIKE誌の整備講座を夢中になって読んだ、ヒロ川口のプロスペクトです、ここに来ると、あの時に戻れます。CONTINUE!!!!

'02/10/19

この時代にフリーベースが流行っていて、案の定私もハマリました、70年代から80年前半までストリートではクラックとは呼ばずに、ベース、或いはフリーベースと云っていました、自分でコークをロックのまま買って、自分でクックします、水とベーキングパウダー(重曹)を適量、コークと一緒に火で炙り、浮いて来た上澄みを冷やすと出来上がりです、不純物を無くした、100%コークをチャンバー付きのガラスパイプで吸引します、多くの友人がイナカになり視界から消えていきましたが運良く私は生き残りました、当時アメリカのドラッグカルチャーを代表するもっとも犠牲者の多かったドーピングで、今なおギャング達の大きな資金源になっているほど、そのトビはハイそのものといえる強力なドラッグです、う〜コワイ、コワイ、今このコラムを書いていても、自然に鳥肌が立ってしまいます。そう云えば、そのころみんな家に帰るのがスゴク早いんです、早くうちに帰って造る事しか頭にないんで、他の事は目もくれずリカーショップに寄り、金属タワシとハンマー印しのベーキングパウダーを買っていちもくさん、ちなみに金属タワシはパイプのフィルターに使います。CONTINUE!!!!

'02/10/14

この男は、判るように英語をしゃべってくれません、ワザトとです、リビングルームのカウチの裏にツーバレルのショットガンを置いてあります、リーバイスじゃない普通のジーパンにサスペンダー、前ポケットにはS&Wチーフスペシャル、いわゆる軍隊放出品マニアで裏庭の体育館のようなガレージには重機関銃が三脚に乗ったまま、夜中訪ねると赤外線スコープを冠っているヤツです、この男から第二次世界大戦で使われたGE製の巨大なサーチライトをジェネレーター付きで2セット買って日本へ送った事があります、高額な取り引きの為その後、運良くベストフレンドの一人に成りましたが違う出合いをしていればボクは奴に強姦されたでしょう、マジでレッドネックはコワーイのである、それにしてもあのサーチライトはデカかった、直径2m位あって、カーボンを直流電源で燃やして光源にしているのだけれど昔からアメリカのクラブやシアターの宣伝に使われていました、夜フリーウェーから見える、あのサーチライトを見るとなぜかワクワクして、また1本ジョイントを巻いてしまうボクでした。CONTINUE!!!! 

'02/10/12

レッドネックというスラングを御存じでせうか?日本語にすると、赤い首ねっこ、になるのですが実際には映画イージーライダーのクライマックスで、デニスをショットガンで撃ったアメリカのイナカ者を指しますが、この映画以降そのスラングのもつ意味は特定イナカアメリカ人を指すのでは無く育った環境がゆえの排他性、新しい変化への恐怖心を持った保守的思想の人間に使うことが多くなったと思います。私は日本でもよくレッドネックに会います、私がよく会うのは浅草の場外馬券場で、煮込みをほうばりながら競馬新聞を睨み、日に焼けた首を惜し気も無くさらす、千葉、埼玉から来た肉体労働者達です、思わずその光景によってしまいます、云っておきますが私はホモでは有りません。とにかくどう云う人をレッドネックというかお判り頂けたと思い、先にすすみます、ロスアンゼルスに住んでいた時期、本場のレッドネックに何度か、遭遇しました、自分がしたくなくとも!。その中にジョンという男がいました年は当時35才位だったと思います。CONTINUE!!!!

'02/10/09

アメリカ国内で仕事をするには、ワーキングビザやグリーンカード等のステータスの他に、ソーシャルセキュリティーナンバーが必要なんですが、現在は観光ビザではその番号をもらえません、その日本で云う健康保険証番号が無いと運転免許も取れないので、現在の若い人がアメリカヘ渡る際のネックにもなっています、ところが私が初めて渡米した78年ごろは、すこしワザを使うと簡単にその番号が取れました、簡単ではありませんが要するにロサンゼルスの都心ではなく、ローカルの市役所の窓口に申請しに行けば取れた時代でした、私が行った所はワッツというサウスL.Aのロイクの町でした、現在の様にオンラインで情報がリンクしていません、窓口のまるでゴスペルの黒人オバサンは平気で書類にサインしてくれます、おかげで不法滞在の私も無事番号をもらえて、今でもそのソシャルセキュリテーナンバーは役に立ってます、時として白人のアメリカ人はイケズが多いけど、意外とロイクは日本人にやさいしい事が多いのは確かです。CONTINUE!!!!

'02/10/05

ベニスに住んでいたころイズミに会いました、以前からウワサは聞いていた男で、ストリートで知らないハウリからおまえはイズミの仲間かと聞かれ、まだ会っていないのにそうだと云うと随分と待遇がいいので、驚いたものでした、当時彼はベニスビーチ近くのエレクトリックアベニューと云うギャングだらけのキケンな場所に住んでいて、スラッシャー達から信頼される唯一の日本人でした、彼の事を書き始めるととても長くなります、また書けない事がほとんどなので、今度改めて書かせてもらいます、う〜んけっこうムズカシイんだけど、、、最初に会ったのは私のスポーティーがイナカになった時に、ガレージまで観に来てくれた時でした、工具の代わりに、気持ちを楽にしてくれるモノを持って来てくれてとても助かりました、当然、修理は中断しましたが自分のバイクが壊れてイナカになっていた事はもう、どうでもよくなっていました。CONTINUE!!!!

'02/9/25

色々なアルバイトしました、サンフランシスコまでペーパーアシッドを買いに行った事があります、当時のビッグディールは主にノーザンカルフォルニアが舞台で、特にサンフラン近郊のコミューンにはまだヒッピー達が住んでおりドラッグを供給していました、例のプレストがサバンナのRX3に変わっていましたが、やはりシャコタンだったので、取り引きの為にキャデラックのセビルをレンターカーして101FWYをひたすら北上です、カーメルと云う町で首尾良く手に入れ、その日の内にこんどはパシフィックコーストHWYを海岸沿いに南下始めましたが、、ヤッパリ気になるのはアシッドです、トランクの中に5000シートあれば、だれでも一枚ぐらい食べたくなるもので、イケナイとは知りつつ、スヌーピーの頭だけ食べて、It's Over。  相棒は私が採った事を知らずに助手席で寝ています、どんな運転だったかは、家にたどり着いた時に75ドルしか貰えなかったので、判るでしょう?  もちろん悪い事ばかりしていた訳ではありません、例によって日本食のレストランのキッチンで働きました、高校を出て帝国ホテルに就職して、バーテンをしていたし、両親はソバ屋でしたから、CONTINUE!!!!

'02/9/24

店の隣がモーテルで、カッパーペニーのウエイトレスと常連の売春婦が住んでいましたが、今考えると、どちらも売春婦だったんです、イナカから出て来たオンナの子の仕事は、ハリウッドも新宿も同じです、始めはウエイトレス、次ぎに会う時はノーパンでストリートに立っています、日本のイナカから出て来た自分は、いったい何になるんでしょう、そんな事はぜんぜん考えていません、毎日がすごいスピードで過ぎていたし失う物もありませんでした、ある日サンセットを馳しる2台のハーレーを観た時当面の目標を見つけました、あのハーレーがほしい、、、ただそれだけの感情でした。

'02/9/20

何日かストーンしていると仕事をしなくてはイケナイ事になり、アルバイトを始めたんだけど、さらにトバされるはめになりました、ハリウッドのカッパーペニーと云うCoffeeShopなんだけど、トテモ危ないロケーションにある昔は西海岸ではメジャーな店でした、カッパーペニーとは日本語にすると1セント銅貨と云う意味です、安い、早い、まずいのローカルレストラン、客はアメリカ人だけ、観光客のレッドネックか売春婦とヒモ、ハリウッドのローカル達、言い方が悪いと思いますが歌舞伎町の立ち食いソバ屋のような、、、ハイランドと云うメインストリートにある為店のトイレは売春婦の溜まり場になっていて、私の初めてのパツキンはあのスレッジービッチの天使でした、正確にはプエルトリカンの母親と言っていたのでロイクになるのか、とにかく半年くらいレジをやらされてスコシ英語を覚えた時期でした、 CONTINUE!!!! 

'02/9/18 

23年前に、生まれて初めて居候と言う身分を味わった家は、マリブのP.C.H.(パシフィックコーストハイウェー)沿いの一軒家でした、ペパーダインユニバーシティーのすぐ近くで断崖絶壁の上に立つオーシャンフロントに、まるで昔の日本のモーテルの離れ、御主人様は日本人のドラッグディーラーで愛車は10Aのプレストロータリークーペのシャコタン、オーナー自ら叩いたと思われるオーバーフェンダー、初めて会った時はひっくり返りました今でこそ小室哲哉が別荘立ててフェラーリ乗り回していますがマリブと云えばそれはそれはゴージャスなエリアで金持ちかディーラーしか住めない所です、私が20才で彼は21才でした。 そのころ彼は日本で流行ってた100円ライターのセールスマンとウソをついて主にコカインを留学生に売って生活していた不法滞在者です、スタートでとんでもない所にころがりこんでしまいました、夜な夜なシャコタンでP.C.H.にパトロールに出かけましたが、実は見張られているのは自分達だったんです〜。 CONTINUE!!!!

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